2018年06月01日

【 月めくり宗家玉手箱 】生

 

6月は水無月(みなづき)とは、

神無月の「 無 」が「 の 」であり「 神の月 」と同様
水無月の「 無 」は「 の 」であり「 水の月 」という

 

6月は 水無月【 月めくり宗家玉手箱


1年のうち毎年6月と12月に斎行されます、
大祓(おおはらえ)の儀式、はや1年の真ん中の6月、
その6月の大祓(おおはらえ)の儀式を迎えます
なんと早いことでしょう。。。
歳月というものは、来るものではなく、
行ってしまうものであるとしみじみ想います

 

インドの聖人は、こう導かれます

 

生とは驚くほど深く広いなにかである
ひとつの偉大な神秘であり、
私たちの生命がそのなかで動いている巨大な国
生存のための金もうけだけに終わるなら、
私たちは生そのものを見ることができなくなる

 

若いときに生に気づかなければ、
人は荒れ果てた内面のまま年老いてゆくだろう
外見では金持ちで高級車に乗って威張っていても、
内面は鈍感で中身のない人間になるだろう

 

昭和の大スター西城秀樹エンターテナーの死

 

たとえ病であろうとも、
「 あの人はこの世のどこかで生きている 」のと
「 もうあの人はこの世にはいない 」

この違いはとてつもなく大きいですね

 

この想いは、平成22年(2010年)3月22日
【 表【 宗家玉手箱 】にて公開いたしました、
「東京本所歯科医師会会長 医学博士 國松先生へ捧ぐ」

【 宗家玉手箱 】を 始めるきっかけとなりました、
真人たる医学博士への弔辞にもつづりましたように、

 

再会の叶わぬ この世 と あの世 の はるかな距離
えも言われぬ、人生のはかなさ、切なさ

 

もっともこの想いは、自分に深く関われば関わるほど、
影響が大きければ大きいほど、さらには境遇が近ければ
近いほど、その想いの度合いも強くなるようです

 

他界されたスターは、自分は病とは縁遠い完全健康体と
健康はあたりまえと不摂生の因果からの病発症

先の医学博士は医学に精通し摂生するも病発症

 

いずれにせよ、病が発症し病に観念するとき、
医学博士が私にくださいましたお手紙にありますように

 

「 健康は失って初めてその尊さを有難く思う 」

 

こうした切実な思いに尽きるのではないでしょうか

 

当時、こうした人生のはかなさ、切なさを抱きながら、
医学博士への弔辞をしたため、目を閉じ休もうとするや

はて、私は、何歳(いくつ)になったのだろう?

と、自分に問いかけ、ふりかえってみたのです

 

こちら【 宗家玉手箱 】は、
清和天皇 源朝臣 清和源氏41代 旭八幡宗家
【 宗家公文書 】にて 公開しておりますように、
アメリカ外遊時、世界平安推進活動に参画するなか、

どんな過ごし方をしても一年が経つと、
だれもが、ひとつずつ年齢をかさねゆく「 動物年齢 」
ではなく、さまざまな出逢いに、正義と愛と調和した、
心で毎日を向き合い、身をもってぶつかり、汗し涙し、
ときに血を流す、そこから反省し、あらたな日を迎え、
年齢をかさねゆく『 精神年齢 』で生きる、

という理念から年齢非公表とする約定ゆえ、人さまに、
年齢を伝えることもなければ、年齢問わずだれかれ、
分けへだてなく人生に向き合っておりますゆえ
人さまに年齢を尋ねることもなく生きておりますこと、

 

先哲の教えであります、男がだれにもアタマを下げずに
生きたいと思ったら、決して「 肩書 」と「 金 」とを
欲しがらない、出世したい奴には「 どうぞお先に 」と
どんどん先に出世させてやるべし!という先哲の教えを
実践いたします「 処士(しょし)」を 貫きながら、
もっともっと単純かつ素朴に、存在しないかのように、
自分自身の人生を、だれの干渉も受けず、邪魔されず、
だれの真似もしない“ 私 ”を生きていきたいと、
ただただ願う取るに足りない修行者にすぎない私ゆえ、
歳を意識したり、わざわざ数えたりしないこともあり、
自分のことであるも、即答できない自問でした

 

はて、さて、私は、いくつになったのだろう?

久方ぶりに、自分の歳を数えてみるや、その歳月に、
苦難に満ちたその歳月が走馬灯のようにかけめぐり、

これまで 私がいたずらに過ごしてきた日々、
あと私に残された日々、過去と未来をながめてみますと

 

私に残された日々のほうがはるかに少ないであろうと、

 

こう改めて気づくや、人生を浪費してきた罪みたいな、
この罪を償(つぐな)わねばならないという罪の意識が
どこからともなく沸き起こってきたんですね

 

この罪の意識が薄れ、消えゆく生き方、
これが私のいまの人生観になっているんです

 

老いも若きも なにがおこるかわからない
これが“ 運命 ”です

お金ができて、地位が高くなったから、幸福になれ、
病にも、悪い運命にもならず死にもしないなら、
いいことずくしですが、お金ができようと、
地位が高くなろうと、なにがどうしようが、

 

そういかないのが人生です

 

油断も隙(すき)もないというのが人生の本当の姿です

 

事実、この世に生れ落ちるや否や、死を迎える赤ちゃん
10歳になるまえに苦痛のなかに死んでいく子供もいれば
花を咲かすこともなく、30歳をまえに非業の最期を
遂げる人も無数にいます。過去にさかのぼれば、
源家に生まれたばかりに、鎌倉の頼朝より先に進むしか
なかった悲運の先祖 源義仲のように、忠義に生き、
いさぎよく忠義に応え、死んでいった無数の先祖たち

 

こうやって、ながめてみますと、
大切なのは、どれだけ長く生きるかではないですね

 

私たちももう少ししたら「 この世 」を卒業するんです
イヤだといってもダメですよ、お先に卒業するか、
あとに卒業するか、とにかく卒業するのです、
死は だれもが「 ホォギャー 」(法の儀式の催促)と
この世に生まれ落ちたときからのこの世の約束ですから
だれも逃れあたわざる永遠の生命の秩序なのですから
ひとごとじゃない、まさかこの私が・・じゃないんです

 

こうした多くの人が抱く、ひとごとのような、
錯覚みたいな想いを、戒(いまし)めるため、
皆さまになじみのあるお坊さんであります一休さんは、
句にして遺(のこ)しておられます

 

昨日まで 人のことよと 思いしに
今日は わが身か こいつたまらん

 

人生、どれだけ長く生きるかではないんだよ、
私たちに いつ死が訪(おとず)れようと、
悔いのないよう日々をすごしなさいよ、と導かれ、

そのもうひとつ奥には、せっかく「 この世 」に、
人間として生まれてこられたのだから、人生に知って
生きなきゃならない、いつの世も変わらない、
【 真理 】を知り【 真理 】とともに生きて、
「 この世 」を卒業しなさいよと、
導きのこしてくださったんですね

 

だから一休さんの句にもありますように、ある朝、突然、
死を迎えると無念であり、名残惜しいだろうから、

あらかじめ少しづつ朽ちていく練習をしておきなさい、
という配慮から、目がかすみ、耳が遠くなる、
それまでの人生で、見るだけのものは見て、聞くだけの
ことは聞いたのだから、老いたら、些細なことは捨て、

本当に必要なものだけ、見て、聞いて、過ごしなさい、

こう、今は亡き真の高僧から導かれるや、

私の人生観がどんどん固まっていくんですね

 

「 人生観 」っていうのは、
毎日 一日一日の人生を どんなふうにして生きると、
自分が喜びを感じるのか・自分らしく生きられるのか
自分の思い通りに生きられるのか、という考え方が、
「 人生観 」です

 

どうせ、死を迎えるなら、人の一生なる短なイノチ、
笑って暮らすほうが得か、泣いて暮らすほうが得か、
考えるまでもない、だれかに聞くまでもない、
年中、バカ・アホといわれても笑って暮らしてたほうが
一番いいでしょう

私たちにあたえられた“ わずかの時間 ”
人にどう思われようが、人からなんと言われようが、
相手にするなんてバカバカしいことですね
そんなものは通りすぎる“ 一陣の風 ”なんですから

 

他人のことばに、雑音・騒音にだまされず、惑わされず

 

大切なのは、どれほど長く生きるかではなく、
あたえられたイノチをどのように生きているか

 

大切なのは いま 私がどう生きているか

 

学者さまや宗教家のいうむずかしい道徳論や倫理観
もっともらしくきこえる、
「 人生は苦しみや辛さに耐え忍ぶものだ 」なんて、
「 人生観 」より

 

他人の幸福をさまたげないという 大大大前提のもとで

できるだけ自分に、自分の心に、
よろこびを多く味わわせて人生に生きる

 

「 自分の情け深い気持ちをだす 」
人に親切にした・思いやりのあることをしたという、
情け深い思いやりがもとになって、
心の誠も愛も親切という気持ちも自然と出てくる。。。
人間の心の最高のものがドンドンひらめきだしてくる
こうした生き方が「 人間の本当の姿 」
それが人間の本当の心なんだから、そのときぐらい、
何ともいえないエクスタシーを感じるときはありません

 

だれにでもある“ 他人を思いやるやさしい心 ”
その心でいっさいのものごとに接する習慣をつける、
他人を思いやるやさしい心で人に接し、ものに接し、
自分の心に感じる こころよさとうれしさというのは、
もうなんとも言い尽くせない喜びですよ

 

その喜びとうれしさをむこうが感じてこっちが感じる、
二重の喜び、価値が高い高い「 とらわれのない喜び 」

 

そこに本当の生きがいある 楽しい 安らかで のどかな
本当の人間生活ができるものと、確信しています

 

こうした本当の人間生活を日々実践することで、
人生を浪費してきた私の罪の意識がいつしか薄らぎ、
この世を卒業するときには、すっかり消え去り、
晴れ晴れとすがすがしく、この私の一度かぎりの人生を
終わらせられたらいいなと願っています

 

今月は長くなってしまいました、1年の真ん中の6月
その6月の大祓(おおはらえ)の儀式を迎えるにあたり
後半の半年の課題であります、瞬間瞬間最善を尽くし、
人間らしく、自分らしく、後悔をせずに生きるという、
課題をこちら御縁の皆さまと共有できれば幸いです


祈念 生きとし生けるすべてのものに幸あれ平安あれ

 

 

 

 

 



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